ツメキリ
2017年1月23日(月)
先週父親の見舞いに行った時のことだ。夕方リハビリから病室に帰ってきた父が母に足の爪を切ってもらっていた。少し暗くなった部屋の中で小さく丸くなった2つの背中が寄り添っていた。その姿を私はずっと見守っていたかった。
でも急に父の声が荒くなった。母が爪をうまく切れなかったのだ。しかし、無理もない。自分の爪を切るのと他人の爪を切るのとでは勝手が違うのだ。ましてや母は高齢で目がよく見えない。見かねた私は、「俺が切ろうか?」と声を掛けた。始めて自分以外の人の爪を切る。それも自分の父親だ。50過ぎの私も老眼でよく見えない。人の爪を切るのは自分の爪を切るのとは違い、爪と皮膚の堺目が分かりづらく、本当に難しい。一気に切ろうとすると怪我をさせてしまいそうで怖い。だから、少しずつ切ることにした。

足の爪を切っている時、時間がゆっくり流れた。そして、今自分が子供の頃、怖かったオヤジの爪を切っているかと思うと不思議と涙がこぼれそうになった。爪が切れ終わると随分満足そうな顔をする父親。そして、安堵する母親。私は、自分がこの二人の子供なんだとしみじみと感じた瞬間でした。そして、最近読んだ重松清さんの『娘に語るお父さんの歴史」の一節を紹介します。
「生きる」とは、年を取っていくことで、
それにつれていろんなものを失っていくことなんだよ──。
でも、失ってしまうのと引き替えに、
とても大切なことも手に入れているはずなんだ──。
その大切なことは、何なのか。
いまはまだ、うまく説明できない。
自分の胸を指でつついて「あるんだよ、ここに、ほら、ちゃんとあるんだ」としか言えない。
先週父親の見舞いに行った時のことだ。夕方リハビリから病室に帰ってきた父が母に足の爪を切ってもらっていた。少し暗くなった部屋の中で小さく丸くなった2つの背中が寄り添っていた。その姿を私はずっと見守っていたかった。
でも急に父の声が荒くなった。母が爪をうまく切れなかったのだ。しかし、無理もない。自分の爪を切るのと他人の爪を切るのとでは勝手が違うのだ。ましてや母は高齢で目がよく見えない。見かねた私は、「俺が切ろうか?」と声を掛けた。始めて自分以外の人の爪を切る。それも自分の父親だ。50過ぎの私も老眼でよく見えない。人の爪を切るのは自分の爪を切るのとは違い、爪と皮膚の堺目が分かりづらく、本当に難しい。一気に切ろうとすると怪我をさせてしまいそうで怖い。だから、少しずつ切ることにした。

足の爪を切っている時、時間がゆっくり流れた。そして、今自分が子供の頃、怖かったオヤジの爪を切っているかと思うと不思議と涙がこぼれそうになった。爪が切れ終わると随分満足そうな顔をする父親。そして、安堵する母親。私は、自分がこの二人の子供なんだとしみじみと感じた瞬間でした。そして、最近読んだ重松清さんの『娘に語るお父さんの歴史」の一節を紹介します。
「生きる」とは、年を取っていくことで、
それにつれていろんなものを失っていくことなんだよ──。
でも、失ってしまうのと引き替えに、
とても大切なことも手に入れているはずなんだ──。
その大切なことは、何なのか。
いまはまだ、うまく説明できない。
自分の胸を指でつついて「あるんだよ、ここに、ほら、ちゃんとあるんだ」としか言えない。